f/q交換日記
これは小沼理、近藤銀河、瀬戸マサキ、水上文の交換日記だよ。
前回はこちら!!
https://remember-this.theletter.jp/posts/5784def0-a4d9-11f0-a294-6ba51dd2db66
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やっほー、みんな元気? みたいな嘘の感情から始めないと、なにも書けない。SNSを見てなくても流れてくるようなニュースがあまりにも、うんざり、もうたくさん、で。小沼さんも触れてらしたけど、高市氏が総裁に選ばれて以来の政治状況のこと。あれからもう二週間? とかになる訳だけど、たった二週間!? と叫びたい(注このあたりを書いてたときはまだ二週間だった)。排外主義は票田になり、差別は恐怖をテコにして進行し続ける。高市氏の首班指名は確実になり(ここを書いていた頃はまだそうだった)、今後なにが進んでいくのか気がかりでならない。
ただ同時に思わされるのが報道で飛び交う「熟年離婚」だとかのなにかとジェンダー化された言葉の数々だ。報道はそういう言葉を好んできたし、高市氏だからということはないのかもしれない。ただそれと同時に高市氏の「自民党の総裁にはなったけど総理にはなれないかもしれない女、と言われている“かわいそうな”高市早苗です」みたいな言葉が並ぶと呻きを上げたくなる。
確実に差別的ではないけど、ジェンダー化された言葉やイメージを巡って戦略的に受けたり躱したり、それが評価される世界。背後にあるそれが、透けて見えるように思えてしまうからだ。鉄砲玉のように「本音」としての差別を言う女性たち。それはもちろん彼女たちの主体性なのだけど、様々な女性たちの生き残り戦略を思い出してしまう。
日本のフェミニズム史にはそういう傷跡が確実にある。女性参政権のために、女性の表現のために、女性の社会進出のために、侵略戦争に加担した女性たち、恐怖から震災で朝鮮人を襲った女性たち。高市氏とそれらを同列にはできないけど、思い出しはする。
高市内閣が女性の起用を増やす、ということも報道され、また考え込んでしまう。差別を進展させながら進む女性の社会進出。それは以前の安倍政権でも行われていたことだ。「女性の輝く世界」。でもそこでは女性が輝くために不平等が是正されることはない。
差別を更新させ、差別を叫びながら、被差別者を社会進出させる。外国人をめぐる事柄も同じ構図にある。矛盾の中で差別だけが沸騰していく。そしてどちらの中でも被差別者は押しつぶされて破砕される。うんざりだ。
ちょうど戦争の日に公開されていた読み切り百合漫画出路かし魚の「明日の空を見る人よ」がふと脳裏をよぎる。戦時下、機密情報となった気象観測情報。主人公はそこで働く女性を慕いつつ、気象観測を精力的に行う。主人公は彼女に同性への思慕を「遊び」として否定され、将来に同性でも婚姻したり婚姻しなくても暮らせる世界が来ることを予測しつつ、「負けてたまるか」と戦争にのめり込む。しかし彼女が見たのは空襲によって灰燼となった都市だった。戦後、彼女が自国が植民地に対して振った暴力をどのように感じたのかわからない。
彼女の叫びは突き刺さっている。どう考えればいいのかもあまりわからない。ただマイノリティとしての自負が、他のことに重なり、動員されることはあるのだろう。イスラエルはクィアフレンドリーを謳う。でも実際は同性婚さえ認められていない。そして虐殺をしている。
一つ言えるのは、権利とは押し合いながら奪い合うものではないはずだ、ということだけ。すべての権利が回復されない限り、誰の権利も真には回復されない。
うーん全然まとまらない。でもこういう全てに答えを出せないままぐるぐるし続ける日々って感じがしてる。差別の連想をし続ける日々。
と、こんなことを書いてバタバタとデモに行ったりして二週間が経ったら、事態はどんどん変化悪化していって、ほんともういっぱいいっぱい。高市早苗氏が信じられない政治(外国人差別の否定ではなく外国人の排除の厳格化をすること、医薬品の保険適応外し、差別的な政治家や政党の肯定、どれも人が生きていけなくなる政治だ)を進めようとしあるいはハラスメント的な振る舞いがあり、それに対してセックスワーカー差別やフェミニンであることの嫌悪を感じさせる言葉が投げかけられる。あるいは女性だからといわんばかりの褒め言葉。個々の発言にどうこう言いたい気持ちはあまりない。ただそういう言葉がひねり出される社会に、たくさんの差別があることだけが明らかになっていく。それが読み取れる。そうして、こういう社会で生きていることを思い出させられる。ずっと知っていた光景なのがなにより嫌だ。極右の女性首相のいる世界。ここに私は住んでいる。
書けない、という話、こういうことかもしれない、とも思う。あまりにも苦しくねっとりとしている。自分の感情に分け入る元気がない。でも手を尽くさないと語れない。
批判するための前提が多すぎる。説明しないといけない前提が多すぎる。話すために共有できていないことが多すぎる。
そうして前提の前提を話しているうちに、話したかったことは忘却される。
なんというか、私はこの数年でスローガンが信じられなくなった。どんなスローガンも、ネットでは文脈を失い、差別に使われていってしまうのを見てきた。トランスジェンダー差別をめぐることは特にそうだ。
「個人的なことは政治的なこと」は個人的な恐怖を政治的な差別に応用するために使われてしまった。「女を守れ」は家父長制を維持して外国人を排除する語りのために使われる。
差別が悪化し、スローガンは燎原の火に飲み込まれていく。
そうした差別に反対するために、当事者の生の語りは困難になった。あるいは当事者が生きるために必要な情報(薬のことや、戸籍のこと、生活上でどう交渉するかとか)へのアクセスはどんどん困難になる。
手前のことが悪化し続けて、語るべきことが後退し続ける。
もちろんそうした状況に抵抗する良いスローガンはたくさんある。特にデモのような場、つまりスローガンの前提や意味を共有できる場で、スローガンやコールはとても有効に働くと思う。
でもそれ以外の場所ではどうだろう。言葉は今やすべて錨のない葦舟だ。どこへでも連れ去られてしまう。どう書けばいいか、迷い続けている。
と、そんなこととは別に私が書けなかったのは単純に体調が悪かったからだった(不思議と精神の調子はそこそこいい)。体調が悪いとなにも書けないし読めない。とりあえず仕事だけは調整しつつも最優先にして遅らせないようにしているんだけども(仕事があるのありがたいです)。
体調が悪いとSNSをぼーっと見るくらいしかできない……がSNSはもうあまりにも辛い。でも何かに集中してないと体の苦痛に向き合うことになって精神的にしんどい。
というわけで私がしてたのが昔読んだ小説を読み返すことだった。一度触れてるものはちょっと脳の負荷が軽く感じる。過去に生きている不思議な感じがある。でもそうしていると自分の速度が遅くなっていって外の世界の速度についていけなくなっていく。
立ち止まっているうちに世界はガンガン進んでいってしまう。それも書けないということの一つかもしれない。
一年以上考えてることもたくさんある。それが病者である自分の速度でそれでいいと思ってはいる(時間がゆっくりになる理由は人それぞれあるだろうけど)。でも、立ち止まれることも、立ち止まるしかないからでもあるけど、立ち止まれる余裕があるからだよな、とも思ったりもする。
……とそこからまた寝込んでしまって一週間、本当にどんどん政治がぐちゃぐちゃになっていく。本当に考えているうちにすべてが変わっていく。また考えていると更に遅れてしまいそうなので、ここまでにしておきたい。水上さんの日本に来たときの感じとか(ちょっと違うと思うけど海外の作品よりも、日本の作品に対しては理解度が上がって差別的なところばかり目についちゃう感じがある)、小沼さんの対話のこととか(対話のできなさとか、制度とネットのヘイトの乖離にある対話可能性とか、それでもマイノリティにとってネットが大事なことの難しさとか、そもそも制度が全然なこととか)、みなさんの日記にも応答したいことがたくさんあるんだけど……!!!!
また話を聞かせてね。その頃にはちょっとは元気になっていたい。

