f/q交換日記
プロテストの月々
こんにちは、近藤銀河です。
こちらのポストは瀬戸マサキさん、小沼理さん、水上文さんと始まった交換日記(前回はこちら、前々回はこちら。ちなみにバナーは私が作りました!)の第3回、近藤の初めての交換日記になります。
さて何を書こうと思いつつ、人の交換日記を見たり、交換日記のきっかけとなったマサキさんの呼びかけやルールを見たり水上さんと小沼さんの日記を読み返したり。……。そもそも私は日記さえ書いたことがなくって。
これは自分の特性と結びついてるのでちょっと書いてみます。
まず、驚くほど一日の出来事で書くことがないんだよね。私はME/CFSとよばれる病気でほとんど一日中ベッドの上で横たわって過ごしている。この文章も寝ながら書いているところ。一日の間にできる事も少ないから、あまり記録するようなこともないし、疲れていると何もできないから私的なことを書く余裕がないまま日々が過ぎていったり(書きたいsubstackの記事とかもたくさんあるんだけど)。
それに私にはいわゆるブレインフォグみたいなものもある。 ブレインフォグは疲労によって脳の機能が低下することを指すけど、一口に言っても経験されるものは多様だ。私の場合は常に苦痛(痛みや息苦しさ、だるさ、かゆみなどなどがいつも体につきまとっている)があって、そちら意識が持っていかれている感じがある。
こうした経験のおまけとして、日々のことを驚くほど何も覚えてない。人の顔も覚えていないのでよく焦る。覚えていないことはそもそも書けないなぁ、というのが私の日記に対する漠然とした印象だった。
私の日常というのはこんなふうなのが8割位で、あとの2割になにやらあまり覚えていない様々な行いがある。
水上さんも引越しのことを書いていたけど、日常って大変だ。
と、そういうのが私の日常であるとした上で……交換日記だと期間が開くから、その間に多少やったことが生まれて書けるのかも。人の日常に応答することでも書けることができるし。というのが交換日記の良さとして私が気づいたことだ。続けられるといいなーと思う。
さてさて。もう遠くなりけりだけど、プライドマンスについてお二人とも書いてらした。私は残念ながらプライドマンスは夏バテであまり何もできずにいて、ちょっとプライドが寂しかった。
私の場合、年々と日々のプライドマンス度合いが高まっているのはあるかもしれない。関わる人も、やる仕事も、研究も、創作も、全部がプライドのことになっている。私のできる限りの範囲で――それはとても小さいけど――自分に使えるごくわずかで限られた時間でなにかをするのなら、それはプライドのことだろうと思っているからだ。
なのでプライドマンスだから何かを感じる気持ちが摩耗してしまっている。でも私はちょっとだけそれに危機感を覚えている。
初めて東京プライドパレードに行ってマーチしたとき、私は一緒に歩んだ人たちが「こんなに私たちを応援する人が、同じような人たちが、いるんだね」と泣いているのを聞いた。
私のように毎月がプライドだ、と思うのはそれを自分から切り離せないからでもあるけど、そうした環境を持てるからでもある。そのことは忘れたなくない。こういう理屈や経験が、ピンクウォッシュ(LGBTQなどを取り上げることで自分のやってる悪いことを覆い隠すこと。イスラエルがやっていて、東京レインボープライドではいつもイスラエルブースの前ではデモが行われていた)や資本主義化の正当化に使われることは、気をつけつつも。
小沼さんが異なる年代のクィアの異なるによる経験について触れていた(>マダムボンジュール・ジャンジさんの『HUGたいそう』(ゆまに書房)出てます!)。私が書いたようなことは、世代のこともであり、クィアコミュニティのなかにいる年数の違いなのかもしれない。
それに地域による違いもある。
私が岐阜にいたころ、クィアな知り合いは全部インターネットの中にしかいなかった。ムカデと格闘しながら、誰にもカミングアウトできない中で、バトラーの本を読み漁り、レズビアンやバイセクシュアル、パンセクシュアルの物語に没頭することでだけ息をしていた。私にとってそれは都会の人のお気楽な話などではなく、まぎれもない自分が生きる文字で編まれた現実だった。しかし側には誰もいなかった(こうした私の生のあり方には前述したような障害に関することも関わってくる)。
それでもそうした本を日本語で古典として読めるのは、恵まれた世代だったんだと思ってる。
とはいえクィアの、セクシュアルマイノリティの中には私と同年代の人でもそうしたものに触れないできた人も多いだろう。私がバトラーとかに触れだしたのは16-18位の時期だったはずだけど、近い歳の人でもそうした経験を持つ人ばかりではない。
クィア・ジェネレーションと呼ぶべきもの(すでにこれについてはいくつか研究はあるが)はここで書いたような一貫性(触れられる資料がすでに発刊されているかとか)と一貫しなさ(それに触れられるかどうか)に支えられているんじゃないかな、と私は考えている。
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そして7月。7月は日本で暮らすのはとてもつらい時期だった。いくつものデモにいった。スピーチもしたし、プラカードを掲げた。
明日、2025年7/20日の参議院選挙を前に、排外主義の嵐が吹き荒れてしまった。自分には一票しかないのは当然だけど、これほど一票に悩むこともなかったかもしれない。多くの当選してほしい政党(共産党や社民党)や議員(石川大我さん)も厳しい立場にある。
一体、明日はどうなってしまうんだろう、と思う。すでにこんなふうになってしまっているのに。
6月のことを私はここで思い出す。それぞれの人が過ごしたプロテストのプライドマンス。そのプロテストから知恵をえながら続けていくしかない。
とても、厳しい。

